メトの「ばらの騎士」2017/06/10 23:54

仕事を終え、夕方から職場近くの東劇で、メトロポリタン・オペラのライブビューイングを観る。
「ばらの騎士」は、オペラの中では5指の中に入るくらい好きだ。
録音も含めると数え切れないくらい聴いているるけれど、このプロダクションは、非常にインパクトが強かった。これまで観たり聴いたりしたどの「ばらの騎士」とも、ずいぶん違う。

この作品は、第一次大戦前の不安定で不安に満ちた時代に、敢えて18世紀の貴族社会を背景に、徹底的に「作り物」としての優雅・優美な世界を幻出させた作品だ。しかしこの演出では、そこをひっくり返し、時代背景を作品成立当時にしてしまっている。軍隊に象徴される暴力的なもの、際どい猥褻、崩壊の予感、といった要素が、非常にパワフルに表現されている。そうした読み替えを、無理なものと感じなかったのは、シュトラウスが書いた音楽には、前作の「エレクトラ」「サロメ」に通じる烈しい暴力的・猥褻な要素も実際あるし、ホフマンスタールの書いたセリフにも、なるほどそうか、と演出に納得できるところがたくさんあったからだ。非常におもしろかった。伝統的な再現への期待を目一杯逆撫でされて怒る人がいてもおかしくはないと思ったけれど。

登場人物の中で一番驚いたのはオックス男爵。ほろ酔いの道化爺ではなくて、空恐ろしいくらいの負のエネルギー、パワーを持って暴れる中年没落貴族になっている。ギュンター・グロイスベックという、すごいバス。
伯爵夫人は、ルネ・フレミング。この日が元帥夫人としての最後の舞台だそうで、登場した時から拍手がわき、カーテンコールでは、紙吹雪が舞っていた。老いを刻んだベビーフェイス、最後の元帥夫人は味わい深かった。
エリーナ・ガランチャのオクタヴィアンは、この先も、これを上回るオクタヴィアンを想像することがオイラには難しい。顔、容姿、演技、歌唱・・欠けるところが無い。しかしそのガランチャも、この舞台がオクタヴィアンの最後、ズボン役の最後だそうだ。ガランチャは、この役の全曲を録音していないようだ。映画ででも、観られて良かった。
指揮は、去年だったかN響定期で聴いたセバスティアン・ヴァイグレ

メトのライブビューイングは、今年初めてだったが、3演目買うと安いので、サイモン・ラトル指揮の「トリスタンとイゾルデ」、ジェイムズ・レヴァイン指揮の「ナブッコ」とこの日の「ばらの騎士」、大作ばかり3つ見た。劇場では絶対にみることができない歌手の細かい表情や、指揮者の目力、出演者のインタビューなどあって、ライブとは別物としての面白さがあった。来シーズンも買ってしまいそうだ。それにしても、もう少しマシな音で聴ける映画館はないものかなあ。映画観るための音で、音楽聴く音じゃない。映画館なんだからアタリマエと言われればそれまでだけど。

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