退役軍人の空虚2017/09/08 19:00

30歳そこそこで発症。
度重なる再発で、抗がん剤治療、手術、骨髄移植。
未だ幼かった子供には、ずっと秘密にしていた。
中三の時にふとした会話から総てを話すことになった。
その子も就職し、巣立った。
最後の大きな治療から間もなく5年。
ようやく平穏な時が訪れようとしている。
どんな気持ちですか?
「空虚」という言葉か帰ってきたので、虚をつかれた。
安堵といった言葉を想像していた自分を恥じた。
彼女の20年は病気との命がけの闘いの連続で、それ自体を糧に生きるしかなかったのだ。それがふっと終わって、この人は自分が生きる足がかりを失ってしまった。
ヴェトナム戦争が終わって米国に帰ったけれど、
市民生活に戻れずに森にこもった退役軍人と同じことかもしれないですね。
そう伝えたら、彼女は言った。
やっと自分の気持ちを言葉にしてもらえた。
戦死した仲間はたくさんいるけれど、生き残っている同年代はほとんど誰もいない。
病気をしていない人に話してもわかってもらえない。
僕も、わからなかった。

こういう話は、聞き出すのではなく、聞き取るのでもない。
聞き・語る共通空間がふっと生成する。
そしてそこには何かエレルギーが生まれる感じがある。

こういう時の漢方薬は、
話しをするための方便だったり、場が生成し変容する触媒だったりする。