連休初日2018/05/03 18:58

連休後半初日。
7月に予定している漢方セミナーの準備で一日机に向かう。

夕、庭に出る。
3年半前に、銀座松屋裏の「野の花 司」で小さなポット植えを買ってきた山椒が、
背丈より大きくなって、実をつけるようになった。
少しだけど、炊いて夜の酒肴に。


千葉から到来の空豆は、初物でまだ味が薄い。
甘皮ごと中華風に五香粉で煮浸しにした。

地物のいただきもの新たまねぎは、削り節と酢醤油で定番の美味さ。

鶏を焼いて、出た脂で葉大蒜を焼いて添えた。
ちょっとポン酢と柚子胡椒をつけるとより美味。

酒はバスクのチャコリ用グラスで、玉川無濾過生原酒を飲む。

要冷蔵と書いてあるけど、「だいじょうぶ、床下なら十分」
という蔵元さんの言葉を信じて、床下の酒蔵に置いていた。
しかし開けようとしたら、パーンと銃撃の音がして栓が天井まで吹っ飛んだ。
ぶったまげた。
あと何本か床下に置いているから、早く飲まなくちゃ!

カフカの世界に2018/05/01 18:52

朝、庭のスイカズラが花盛り。
こうしてみると金銀花という生薬名がなるほどという感じ。
花は香りが良く、蒸留酒に漬け込んでも楽しめるそうな。
とFBに書いたら、旧友がジンに漬けてみるそうな。

午前、小田原・丹羽病院の漢方外来。
午後は銀座で診療。
連休に挟まれたこういう日は、
飛び込みの感染症がちょこちょこ。

昨夏から使っている膝サポーター。
つけていれば山も平気で歩けるが、はずすと家の階段でも痛くなってきた。

下肢の筋トレ、ストレッチは毎日続けているが、
すでにこれは必需品になっているのか。
腰もだし。
だんだん甲冑固めの甲虫みたいになってくる。
思わぬ方向から、カフカの『変身』がリアリティーを帯びてくる。

夏の日差しの中で2018/04/30 22:47

どんどん暑くなりそうなので、仕事前の裏山さんぽ。
桐の花が咲いている。

卯の花。

この樹の花は、なんだっけ?


帰って4月分診療報酬請求書類の点検。

昼めしは、昨日のマルミタコをリフォームし、
トンノのフェデリーニとして庭でツレアイと食す。
ナポリ郊外の別宅庭園にて愛人と昼食。
この世は悦楽の園でござるのお。
と、妄想してみる。
もうそうしてみる、もうそうしてみる。
もう、そうしてみるしかない。
おお、アーティキュレーションを変えればこれは一種の悟りかもしれない。
と、またもうそうしてみる。

午後、伸び盛りのヤブニッケイやスダジイの枝、
丈が高くなり過ぎたドウダンツツジの枝などを、剪定する。
切った枝葉は可燃物用のゴミ袋に入れて出すのだが。
袋が破れないように、細かく切って詰めるのが大仕事だ。
枝を切るのと同じくらいの時間がかかる。
結局しっかり日が暮れるまで、5時間もかかってしまった。


ブロムシュテット指揮の至純のベートーヴェン2018/04/29 12:40

起きて庭に出る。
初夏の緑が溢れかえってきた。

山椒が実をつけ始めた。

ラヴェンダーは、ツレアイが3種類ほど植えている。

少し枝を切らないと、窓が暗くなってきた。

朝めし。
バスクのマルミタコと呼ばれる漁師鍋のような料理。
いただきもののカジキマグロを食べきるためのあの手この手の一つ。
これはなかなかいける。

午前、月に一度のフルートのレッスン。
どんどんやることが狭くなって、
今日は下のAあたりの音を中心に、上下4度くらいまでの音を
ちゃんと出すだけの練習。
肩関節をロックさせない、顎を前にスライドし過ぎない、
楽器の位置をやや高めに。
CやCisからDやEに移る時に楽器がぐらつく。
いずれも目に見えないくらいの微細なこと。
そこだけに注目してやろうとすると難しいが、
要はしっかりした響きをいかにつかみ、
そこからのズレをどう修正するか、ということ。
集中した一時間なので、身体も脳もクタクタになる。

午後、渋谷のオーチャードホールで、
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮N響のベートーヴェン。
交響曲第八番と七番を聴く。
序奏なしでいきなり始まる八番一楽章の最初の一音から、
指揮者とオーケストラが完全に一体化して、
非常に純度と集中力の高い音楽がよどみ無く流れていく。

テンポは新ベートーヴェン全集のメトロノーム記号に従っているそうで、
早めではあるが、決して前のめりに急ぐ感じはなく、
言うべきことが、過不足なくきちんと語られていくので、
早すぎるとは感じられない。
力強いが、押し付けがましいさや、粗っぽいところは無い。
随所に聴き慣れたのとは違ったバランスやアーティキュレーションが聞こえるが、
珍奇さや、これみよがしな自己主張は感じられず、
起きるべきことが、起きるべき時に、起きるべき形で起きていると感じられ、
ときの経過と共に力強く輝かしく巨大な音楽のモニュメントがたち現れてくる。
ブロムシュテットは、今や突き抜けた、至純至高の境地に、
達していると思わずにはいられない。

夜、ツレアイ、子供たちと、ポルトガル料理を囲む。
これは上質のオリーブオイルと自家製トニックウォータを使った
ノンアルコールの店オリジナルドリンク。
初めての美味しさ。

ポルトガル料理って見映えは地味だが、実質的な旨さがある。

海鮮のカタプラーナ。これは食べたことがある。
美味しいことに変わりはない。

今回初めて食べたウサギ肉の白ワイン煮込み。
これは良い意味で予想外。
柔らかくなるまでよく煮込んであり、酸味があって美味しい。

嬉しいニュースもあり、いい夜だった。

時を刻むもの2018/04/19 22:37

午前の診療を終え、横浜のホームへ、母の訪問診療に。

母、93歳。
体重30㌔グラム。
腹部皮下へと落ちていく点滴の一滴一滴が、
残りの時間を測る砂時計の砂のようにも感じられる。

母は幼い時に父親を亡くし、
中年で兄と弟を亡くし、
自分や身近な人の死に対する不安や恐怖を強く持ち続けた人だった。
しかし認知症が進行し、不安も悲しみも怒りも表情から消えていった。
その意味では、認知症は神のプレゼントであったかもしれない。
自分がいろいろなものを失いつつあることを、
自ら感じているころの不安や悲しみの表情を見ているのはつらかったが、
それも10年も前のことになった。
私にとっては、長いpassing awayが進行形で続いてきたような感じだが、
それもいよいよ終わりに近づいている。

帰宅して夕暮れの庭でクリニックに持っていく花を物色。
いつの間にかエビネが咲いた。

夕食は和洋折衷、牛に筍。
思えば年に一度咲く花も、年に一度食べるタケノコも、
人生の時を刻む砂時計の砂のようなものであるのかもしれない。
残りの時がどれほどの長さか、母の場合ほどは短くないだろうと、
勝手に思い込んでいるだけで。

タケノコの薄皮は梅和え、セリは胡麻和え。

牛には、マッシュルームとスナップエンドウを添えて。

カブと薄揚げ煮物。

京都の漬物。ミルフィーユみたい。