ブロムシュテット指揮N響B定期2018/10/25 23:14

午前の診療を終え、
午後は近所の築地でインフルワクチン接種前問診の出稼ぎ。

夜はサントリーホールでN響定期を聴く。
今宵のメインは、スウェーデンの作曲家ステンハンマルの交響曲第二番。
クラシックな二管編成、
華々しい打楽器も珍しい楽器も出てこない。
Gが主音で全音的な純度の高い響き、民謡的な人懐こいメロディーと対位法。
1915年初演の作品とは思えない。
反時代的純朴に、清純な共感を重ねたブロムシュテット指揮の演奏。

"ガラパゴス"を否定的に用いるのはやめよう。
ガラパゴス島の生物たちは美しい。
"進化"のメインストリームにいることで音楽の価値が上がるわけではない。
そんなことを思った。
前半は、ベートーヴェンの第六交響曲。
虚飾を排した清々しい「田園」。

越喜来湾のムール貝の白ワイン蒸しを楽しんで、また新横浜へ。
ホームで母親の様子をみて、深夜ホテルの床に就く。

ブロムシュテット指揮のハイドンとマーラー2018/10/20 22:59

美しい朝。
ホテルからホームに向かう。



昨夜は冷えて、ホームでは今季初めて暖房を入れたそうな。

銀座で午前の診療を終え、午後はNHKホールでN響定期を聴く。
ブロムシュテットさんの指揮で、メインはマーラーの第一交響曲。
91歳のブロムシュテットさんが指揮した演奏を聴くと、
いつも「清純」て言葉が浮かぶ。
清純が至高の音楽体験に結びつくこともあるし、
物足りなさに近いものを感じさせられることもある。

マーラーは、何年か前の9番、今夜の1番と聴いて、清純なマーラーも面白いけどマーラーは麻辣で摩羅で魔等なんだからソーメンじゃなくてラーメンでしょ、
みたいな気はした。

プログラム前半が、ハイドンのロンドン交響曲。
そして、ロンドン交響曲もマーラーの巨人も、ニ長調。
交響曲の歴史展示のような、はっきり意図があるプログラミング。
歴史を経てこんな似ても似つかぬものになったよ、という提示も当然ありうるけど、
ブロムシュテットさんのアイデアというかヴィジョンはそうじゃない。
ほら、ちゃんと同じものが見えるでしょ?と言ってたみたい。

こうして反芻するものが残るって、やっぱりいいコンサートだったってこと。
夜は再び新横浜に戻って、二度目のサイゼリヤにて反芻。

ぶっちぎりだ!
オイラの年齢、客平均の三倍かな。
われは場違い也、空気読まないからカンケーネー!

悔悟するダビデ2018/10/12 19:04



モーツァルト作曲のカンタータ「悔悟するダビデ」K469って知ってます?
聴いたことないし、そんな曲があることも知らなかったなあ。
どんな曲なんだろ、とCDかけたら、ハ短調大ミサそのものの音楽が流れ始め、
延々とそれが続くので、あっけにとられた。
歌詞だけ、ミサ典礼文でないのは、わかる。

解説を読むと、歌詞はあの、ダ・ポンテ。
締め切りに間に合わないので、
全10曲のうち新たに書いたのは2曲のアリアと終曲のカデンツァ部分だけ。
初演の時の楽譜もハ短調ミサのを使い廻したそうな。

バッハもモーツァルトも、自分の曲の使い廻しがあるのは知ってたけど、
ここまでヌケヌケと。。とは。
埋もれるはずだわ。
天才モーツァルトの恥部というか。
いやあビックリだ。モーツァルトが悔悟しているかも。

最後にオマケのようについている「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が聴きたくて
中古をネットで買った廃盤CD。

密度高いレッスンの後は剪定の山猿2018/10/08 22:38

パンが一枚きりになっちゃったので、
イモの茹でたのに、エシレで朝めし。

その後ひと月ぶりに楽器のレッスン。
左手のくすり指の角度が悪い。という一点を見出し、
それを矯正するためどこをどうするか、
というだけで一時間。
むっちゃくちゃ密度高い。
「楽器のレッスンてこういう感じなんですか?」と先生に尋ねたら、
「九鬼さんくらいかな、もう少し曲もやりましょうよ」と言われた。
まあ、意地になって基礎を深掘りしてるんだな。
ヘトヘトになって帰ってひと眠り。

目覚めて、ゲルマンな昼めし。

午後は、先日の台風24号ですっかり花を落とした金木犀の剪定。
電線まで届くほど高くなってしまっている。
猿のようによじ登り、フィールドアスレチックのような身のこなしで3時間。
ふいいい。

晩飯。
いただきものの、唐津の本からすみ。
こりゃ美味い!

台風一過のカルミナ・ブラーナ2018/10/01 22:15

台風一過。

玄関先の金木犀はおおかた花を落としてしまったようだ。
穏やかに晴れてよかった、と駅に着くと、おっとっと。
東海道線動いていない。
出稼ぎに行かれない。
急ぎツレアイに車を出しておくってもらうが、道も混んでいる。

余裕をもって出たが、ギリギリになった。

夜は、NHK音楽祭の第二夜。

パーヴォ・ヤルヴィの指揮N響で、オルフの大作「カルミナ・ブラーナ」。
これは、いわゆる「クラシック」あるいはもっと、20世紀の「ゲンダイオンガク」としては珍しい音楽。
純粋性とは反対のものを指向する音楽。
ケレンも肉体性も娯楽性もプリミティヴィズム的なものも混交しており、その後のミニマリズムを思わせるところもある。

オイラの廻りには、フレディ・マーキュリーの崇拝者が何人かいる。
オイラはそうではないが、フレディ・マーキュリーが好きな人はきっと「カルミナ・ブラーナ」も好きだろうなと思ってググってみると、やはりフレディ・マーキュリー自身がけっこうカール・オルフから影響受けたりているらしいことがわかった。
フレディ・マーキュリーはクラシック的なんて読むと、ちっとも、と思うが、カール・オルフ的というなら話はわかる。
というか、カール・オルフって人が、いわゆるクラシックというか現代音楽家の中で例外的な、フレディ・マーキュリー的な大作を作った珍しい人というべきか、という気がする。