フェイク・スプリングに林祐子先生の訃報 ― 2018/01/09 21:08
陽射しも気温も、春のようになった。
「暑いですよ」と、赤い顔をして診察室に入ってきた方もいらした。
本格的な寒の襲来前のフェイントのようなものか。
午前の診療は、なぜか今日は患者さんが少なかった。
いくつか買い物や片付けをして、帰宅。
日が落ちるころから、急に寒くなってきた。
帰りなむいざ、急げ家路。
夕食は、残り物でワンプレート。
あふれちまった。ひどい盛り付け。
塩豚のオリーブ焼き、パプリカとシメジとセロリ添え
ミラノからの珍しいパスタはシンプルなバジル風味トマトソースで。
大根葉みたいな巨大なルッコラ。
他に、残り物の葉を3種合わせてポタージュを作ってみた。
大根葉に、ルッコラに、なんとパクチー。
美味しかったよ!
メシで遊んで、9時に早寝。
オルガン奏者の林祐子先生が亡くなった。
ICU教会堂のオルガンが完成した時、オーストリアからアントン・ハイラー、フランスからマリ=クレール・アラン、そして合衆国からは林祐子先生が招かれて、それぞれ複数のコンサートやレクチャーをされた。
ハイラーさんの壮麗極まりないバッハ、アランさんの浮遊したようなクープランやメシアンもよく覚えているが、林先生のオルガン演奏は、素人の耳にも、誰より精確で、どんな音楽も形がクッキリと聞こえてきた。
当時の音楽学の金沢正剛教授と林先生が米国・ボストン留学時代からの知り合いで、金沢先生と林先生が相談して決めた企画だったようだ。二人のオルガンの巨人が来日したのは、林先生あってこそ、であったのだ。その3人で、西欧オルガン音楽の全貌に近いものを日本に紹介しよう、という壮大で野心的な企画であったのだろう。そのコンサートには、鈴木雅明さんはじめ、現在日本のオルガン界を支えている音楽家の多くが聴衆として耳を傾けていたのだという。種は確かに蒔かれ、芽生えて豊かに繁ったのだ。
そんな現場に、大学生としていあわせた。
当時の音楽学の金沢正剛教授と林先生が米国・ボストン留学時代からの知り合いで、金沢先生と林先生が相談して決めた企画だったようだ。二人のオルガンの巨人が来日したのは、林先生あってこそ、であったのだ。その3人で、西欧オルガン音楽の全貌に近いものを日本に紹介しよう、という壮大で野心的な企画であったのだろう。そのコンサートには、鈴木雅明さんはじめ、現在日本のオルガン界を支えている音楽家の多くが聴衆として耳を傾けていたのだという。種は確かに蒔かれ、芽生えて豊かに繁ったのだ。
そんな現場に、大学生としていあわせた。
なんと幸運で幸福な大学生だったのだろうか。
当時はそんな風には思わなかった。
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