センチな出稼ぎ2018/01/29 22:31

今日の出稼ぎ先は、自分が幼児期を過ごした場所にあった。
わかっていたので、早く行って、周りを散策した。
この神社は、昔のままのように感じられた。
「八幡さま」の秋のお祭り。
その暗さと賑わい。
お神楽の笛や太鼓の音、蝦蟇の脂売りの口上、
駄菓子や、怪しい透視眼鏡。思い出が蘇ってくる。
お祭りだから、とおばあちゃんがくれたお小遣いは100円だったろうか。
入ってすぐの左側に見えている社務所も、昔のままのように見える。
ここで、小学校の低学年の時に、母親と担任の会合があって、
着物で写った母の写真が残っている。
そのころ母は三十代なかば。
そのころ、保護者会などがあると、母親の多くは和装だった。



出稼ぎを終えて、散策の続き。
小学校の通学路を辿ってみる。
線路際の細い道の佇まいは昔のままだ。
この質屋の名前には覚えがある。
通い始めたころは、この道は、というよりほとんど総ての道路が未舗装で、
雨が降ると水たまりがあちこちにできて、
そこにアメンボやミズスマシがスイスイと波紋を描いた。
長靴で、そんな水たまりをチャプチャプと歩いて行くのが楽しかった。

民家の多くはアパートやミニマンションに変わってしまったが、
角のお稲荷さんは、変わらない。
土地の歴史の刻印がここにある。

このあたりには、タチバナの生け垣があって
アゲハチョウの幼虫がいた。
大きな芝生の家にコリーが飼われていて、
いつも通りかかると大きな声で吠えながら駆け回るので、ドキドキした。

そして、この踏切を渡ったところが、母校の世田谷区立八幡(やはた)小学校。
朝に訪ねた奥沢神社の境内が発祥なので、八幡小学校という。
あのころに校歌で「ほまれの歴史80年」と歌っていた。
今は「ほまれの歴史140年」と歌っているのだろうか。
リズムが良くないが。

田園調布へ歩く。
オイラはこの辺に住んでいたわけではなくて、
当時の目蒲線で電車通学していた。
田園調布と奥沢の間くらいに小学校があるので、どちらを使うこともあった。
中学からは、田園調布の教会に通うようになったので、
この駅には、高校生のころまでの思い出がつまっている。

幼児期から10代まで。
時の彼方になった時間が一気に押し寄せてきて、
ほとんど茫然自失、夢の中を歩いているような時間を過ごした。
そう、オイラは、このあたりから、生まれ出てきたのだ。

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