物語り ― 2017/08/02 17:21
また減っちまった。
スネかじるやつはいなくなったのになぁ。
物語の聞き手になることが僕らの役割かもしれない。
聞き手になるということは、語りての語りを導くことかもしれない。
語られた物語は、語り手の物語かもしれないけれど、
聞き手の物語でもあり、
二人の関係の中で初めて成立した物語かもしれない。
というようなことを、今日は実感した。
難しいと思うのは、こういうことは、意図してできることではなくて、
ある時に、出来事として起きる。
その媒体になるだけ、というような感じ。
意図してそういうことをしようとすると、起きることは最悪かもしれない。
できることは、職業的に最低限のことをしながら、
起きるべきことが起きた時に邪魔しないように準備していることだけかもしれない。
職業訓練的にできることは、時間かせぎのような「最低限のこと」ができるかどうか、程度のところだけかもしれない。
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