6月2015/06/01 08:19

月が替わるのを待っていたかのように
庭のクチナシが咲き始めた。

実は生薬「山梔子」として使われる。

オオスカシバに気をつけていないと、
幼虫が葉を食べ始めると、数日で丸裸にされてしまう。

この花、お葬式の花だって知ってました?
ほら、死人に口無しって・・・

さあ、仕事仕事。

・・・・・・・・・・・・

今日は小田原・丹羽病院の漢方外来の後、
横浜のホームへ、母親の訪問診療に。
暑くて疲れた。

夕方は、食べ時の庭の枇杷を、まとめて収穫した。

てんこ盛り2015/06/02 12:42

今週の待合室
悪戯な花シリーズ

いちおうこれも

お も て な し

21年ぶりの再会2015/06/02 15:14

医学部の同級生って、ちょっと特殊な関係です。
なにせ一学年100人ほどの小さい所帯で、やることに選択の余地がほとんどないから、何をするのも一緒。
特に出席番号が近いと、実験、実習全部一緒だから、朝から晩までずーっと顔つき合わせて過ごす日も珍しくない。そんな6年間を過ごして、でも、卒業と共にぷっつり。。

そんな一人が、今朝、突然診療所を訪ねてくれた。うれしかったなあ。地元の市民病院には、KもSもいて。。。と聞いて調べてみると、二人とも、もう部長職になっていた。そりゃそうか、卒後21年も経てば。なつかしい。

開院記念日2015/06/03 10:32

1997年、平成9年の6月3日火曜日が、当院の開院日でした。
昨日までで18年が経ち、今日から19年目に入る、ということになります。

この場所で開業しないか、という話しがあったのは、その年の2月末のことでした。それからわずか2月ほどの間に、病院勤務を続けながら、所属医局と相談し、信頼する少数の友人に相談し、決断し、開業に関する最低限の情報を読みあさりつつ、内装工事の業者を決め、内装の相談をし、機器と薬品の選定と購入、開院のための諸手続き、金策・・千葉の病院の勤務が終わってから東京に出て、最終電車で帰る生活が続き、ようやく開院にこぎつけました。まったく目が回るような日々でしたし、これまでの人生で最大の思い切ったLEAPであったと思います。

地縁も血縁も準備も無いままの開業でしたから、患者さんがすぐに来てくださる筈もなく、開院の月は、一ヶ月の患者さんが50人でした。細々ながらも何とか経営が成り立つ程度に患者さんが安定して来てくださるようになるまでに、約2年を要しました。

その後も苦しい局面は幾多ありましたが、なんとかここまで続けて来られたのは、多くの方々のおかげです。
変わらぬ無私の献身をクリニックに注ぎ続けてくれている二人のスタッフ
いつも支持的に支えて下さる師匠
この間3回の転居、当時まだ小学生だった二人の子どもたちの進学、等々、家庭の一切をとり仕切ってくれたツレアイと、彼女を支えてくれた彼女の両親。
私の存在を見えないところで支えてくれた自分の両親。
塾にも予備校にも行かず、公立校で大学まで卒業し無事就職してくれた、親孝行な二人の息子たち。
当院を選んで受診してくださった、8千人余の方たち。
いつも変わらずそばにいてくれる音楽をたくさん遺してくれた大作曲家たち、中でもバッハさん、ハイドンさん、モーツァルトさん、ベートーヴェンさん、ブラームスさん、ラモーさん、ドビュッシーさん・・

どうもありがとうございました。
さようなら、とは未だ言えないので、まだしばらく頑張って参ります。
これからもよろしくお願いいたします。

連続噴火2015/06/04 13:46

「日暮れは近い!」

「相手を見つけるのに時と場所を選んでちゃだめ!」

「お尻じゃないよ、瘀血だ!」

「地球の裏でも愛は届いたか!」

「月経は身体の低気圧なんだよ!」

オヤヂジョーク次々と炸裂。

すべて女性の心身に関するコメントです。

言い方と関係性によっちゃドクハラと言われても仕方がない際どさであることは、自覚しております。
でも私なりの愛のこもった激励であったり、助言であったり、贈る言葉であったりするのです。これ、ほんと。